2019年5月6日月曜日

日々成長

いつだったか、カズが痛みを知って成長するとコラムでかいていた。
この年での痛みも、どれだけ自分を成長させてくれるかわからないけど、目指す目標に向かって盲目的に走り抜けることが何よりの近道。

自分を、仲間を、組織を信じて。

2019年1月20日日曜日

謙虚八策

木鶏になれていない自分に対して、龍馬の船中八策ならぬ『謙虚八策』と題して、自分を戒め2019年を再出発します。

稀勢の里

稀勢の里が引退しました。

彼の引退会見を視ていて、自分を貫いた姿と、久しぶりの日本人横綱というプレッシャーを背負いながら必死に戦った姿に涙をもらいました。

夏場所でマス席で『稀勢の里~‼️』って大声で声援を送り頂いた芋焼酎を開封し大切に頂きました。

お疲れ様でした❗

木鶏

我未だ木鶏足りえず

以前、このブログでも自分で書いてたけど(http://mhatamochi.blogspot.com/2011/07/blog-post_9142.html)、今、まさに自分は木鶏にならなければいけない、弱い、自分を感じてる。

2019年1月5日土曜日

2019年 富士山

1月4日、御殿場付近より撮影した富士山。
謙虚にさせられる威厳ある存在です。

愚息の初打ち

毎年のように箱根の温泉につかりに行ってきました。
具足は高校1年生で、親とは行動したくない年頃だけど付き合ってくれました。
ゴルフ部に入部して111が最高スコアとのこと頑張ってるようです。
本人の人生、本人に任せよう。

2018年11月21日水曜日

50歳

気がつけば11月で50歳を迎えてしまい当たり前だけど半世紀を生きたことになります。
昔は短く、残りわずかだった寿命も今では80歳、或いは1世紀とも言われています。

そう考えると、何か事故でも起こらない限り、残り30年~50年を生きることになるけど、ガンジーも『明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。』と名言を残しているように、寧ろ、明日、死ぬかもしれないと考えると一日一日が重要になります。

さあ、ここからはある意味、好きなように生きて行き、勝負したいと思います。

2018年9月28日金曜日

何回はい上がれるか

今朝の日経に三浦カズさんのコラムが掲載されていましたが、またまたよい記事でした。

『何回成功するかじゃなく、何回はい上がれるか』
『only one ではなく No.1』

この二つの言葉は、僕自身も今後の生き方のなかでリフレインしないといけないと感じた。

2018年7月15日日曜日

2018年7月11日と12日

2018年7月11日、27年勤めた会社を退社しました。
退社にともない各方面の方々にはご尽力頂き、翌12日には入社し、次のステップへの一歩を踏み出すことができました。

極めて今後の人生が楽しみで刺激を受けると共に改めて頑張ろうという気持ちが込み上げてきます。
他方、これまで27年間お世話になった会社を出てみると、当たり前であったことや風景が違って見えることもあり困惑することもあります。

しかし、時節到来とこの境遇をエンジョイして頑張ろうと思います。

2018年5月1日火曜日

2018年 高尾山

今年もまた高尾山を登りました。
毎年、体調も良く登れる幸せを感じながら山頂まで行き、なめこ山菜蕎麦を食べて下山しました。

それにしても快晴で清々しい天気で、山頂からは富士山も拝めました。

休み明けから、また頑張ろう。

2018年4月29日日曜日

息子の道

高校生になり、息子の選んだ道は「ゴルフ部」。
ちょっと残念な気もする一方で、自分で好きな道として選んだゴルフは応援するよ❗
息子が気に入って購入したMizunoのフルセット、打ちっぱなしで毎日のように練習してる。

頑張れ。

2018年3月12日月曜日

中学卒業

息子もいよいよ4月から高校生。
昨日は中学のサッカー部の納会があったけれど僕は出席せず。しかし、息子は挨拶で努力の重要性をコメントしていたようです。
図らずも左キックの瞬間の同じアングルの写真。親子だと感じる。

僕の育った環境と同じ道を歩み、あっという間に中学を卒業することとなったけれど同じ充実感を抱いているのかなどと考えると感慨深いものがあるね。

更に高校生活は独立自尊、自分を磨き素晴らしい学生生活を送ってほしいものです。

2018年2月18日日曜日

環境への順応

日経新聞コラムでカズも指摘しているけど、変化に順応でありそれと共に自分自身も成長しなきゃね。

2018年1月23日火曜日

新年を祝う

2018年を迎えました。

今年は、僕にとって大きな変化の年であり勝負の年です。
人生100年計画の曲がり角を迎える前に勝負を仕掛けたい、納得の行く人生を歩みたい、そんな気持ちで新年を迎えたけど、自分にとっての勝負は何を意味するか、これは人それぞれだけど僕にとっては明確な目標をもって今年を迎えました。

年明け早々にお世話になっている大先輩にお声掛け頂き料亭で獅子舞いに頭を噛まれながら気持ちを新たに今年を占いました。

自分の気持ちとは裏腹に周囲の環境が不安定であり、所謂Big Waveを待つ状態はサーフィンや釣りをする人も同じような気持ちなのだろうかと、じっと時を伺う事にしたい、そう考えています。

今年は、従来通りの『謙虚』に加え、『勝負』『爆発』をキーワードにスタートダッシュしてゆきたいと思います。

2018年1月6日土曜日

神田明神

今年は、家族で神田明神に参拝に来ました。
帰りは、藪蕎麦の神田本店で蕎麦を食べて一年を祈願しました❗

2018年1月3日水曜日

2018年に向けて

素晴らしい年末年始を迎えることができました。
昨年を写真で振り返ってみましたが、どれも思い出ばかり。
夏休みのシンガポールは、何か自分を見つめる良い場所だったような気がする。
年末はTiger beerで締めくくり2018年に繋げました。

身体健康 精神活発
2018年

2017年12月30日土曜日

2017年という年

久しぶりにブログに投稿。

今日は、早朝より箱根神社を参拝し何とも言えない一年を振り返るにふさわしい朝陽が迎えてくれました。

2017年は日経新聞のコラムにもあったけれど、1987年はブラックマンデー、97年はアジア通貨経済危機、07年は米サブプライムローン問題と何かと混乱を繰り返した『7』の年であったようです。

自分の周辺では『7万戸』という基準が大きくのし掛かった一年であったと思いますが、事業統合するなど飛躍の年であり、個人的には人生を進める起点となる忘れられない年になりました。

2018年は自分の人生を充実したものにすべく大きな一歩を踏み出したいと思います。

身体健康 精神活発
ゆっくり年末年始を迎えたいと思います。

2016年5月12日木曜日

愛犬の手術

何となく吠える声が霞んで聞こえ、元気がない印象だった愛犬のグリア。
いつもなら普通にのぼるソファにも登れず、「キャイ~ン」と痛みを訴える鳴き声をし、同時に後ろ足が動かなくなってしまいました。
急ぎ、行きつけの病院に運び込んだところ、ヘルニアと診断を受け急遽手術をお願いしました。
術後、1ヶ月を待たずして元気に飛び回っています。
私や家族の辛い部分を背負ってもらったと思うと、泣けてくる。

2016年1月25日月曜日

2016年1月12日火曜日

鏡割り

2016年、最初のイベントが91年三田会の25周年記念事業の実行委員会の新年会及び普通部合同同窓会でした。

普通部同窓会は、66名が参加してくれて盛会に終わり、実行委員会の新年会含めると190人近い同窓生と懇親を深めました。


2016年1月1日金曜日

2016年 年男



明けましておめでとうございます。
僕は、1968年生まれで申年なので、2016年の今年は年男ということのようです。
年男の本来の役目は、門松を立て、また御年皇大神様の神棚の飾り、節分では豆打の大役を務めると言うけど、縁起のよい男として過ごしたいね。

2015年12月31日木曜日

恒例の箱根

2015年末も箱根へ出掛けました。
それにしても、振り返ると変化の多い一年でした。
本社の課長を務めた4年半もなかなかだったけど、この年も毎日が勝負で凝縮された時間だったと感じます。
2000年も出向から本社に帰任、そして結婚など変化の多い年だったけど、似た感じだったな。
箱根に向かう途中、小田原厚木道路が火災のため通行止めと聞いて、大磯で降りて西湘バイパスへ回り、年末の小田原の海沿いでサンセットを観ながらドライブするロマンチックな結果に。
そして、箱根神社の九頭龍の口から流れる水で清めてきました。
来年は、どのような一年になるだろうか。
更に「変化」を起こせるように、一歩前にでて次の世界を見ないといけないと意を新たに。






2015年11月8日日曜日

47回目の誕生日

47回目の誕生日を迎えました。家内よりお手紙と限定の薩摩宝山のプレゼントをいただきました。
夜は、両親を交えて食事をしましたが、幸せな時間を過ごすことができました。

それにしても、あっという間に1年が経過しました。昨年は、10月に福岡から戻り、バタバタとした日であったと思います。
この1年間を振り返ると、グループ会社への出向、新組織、役割変更と目まぐるしい毎日でした。

これから残された時間を、年を、どのように生きて行くか、とても大事だと感じています。

先ずは、健康第一に生活を考え、家族と楽しく過ごすことが大切と思います。

2015年9月23日水曜日

深大寺

silver week最終日は、近くて、落ち着くオアシスがあります。
それは深大寺。
ここは、前に飼っていたミニチュアダックスフントのルパンが眠っており、定期的に訪れては、深大寺蕎麦を食べて帰ります。
何となく原点に帰れる、リセットできる場所です。

空気の薄い頂を目指して、さあ、明日からリセット。

2015年9月11日金曜日

付加価値

久しぶりに、カズのコラムでハッとしました。
点を取らなきゃ、守らなきゃ、と当たり前の行動を繰り返しているようでは、そのレベルということだなと。
仕事も、一味アイデア、すなわち付加価値が必要。

2015年4月19日日曜日

チャレンジ

「やってしまった後悔はだんだん小さくなるが、やらなかった後悔はだんだん大きくなる」

チェルシー移籍のオファーを受けながら悩むFC東京の武藤選手。
のりに乗っている状態であるからこそ、どんどんチャレンジして欲しいものです。

2014年9月22日月曜日

Fukuoka Last flight

2年間ではあったものの、福岡でも勤務は、営業の原点に戻れたこと、沢山の人脈ができたことなど、財産が増えた勤務でした。
いよいよ、羽田より福岡に戻り、撤収作業のうえ、帰任となり最後の福岡便の搭乗になります。
この2年間を振り返り、また10月からのことを考え、暫し1時間30分の旅です。

2014年9月14日日曜日

会社同期の親友と

入社以来、何度か顔を会わせる程度だった櫻井君ことさくちゃん。
20年以上が経過して、福岡で一緒に仕事をする機会ができ、食事やゴルフと深い付き合いをした。
彼は、冷静で仕事に熱く、包容力がある。いつも仕事の話をしているときがモチベーションが高い。
ゴルフは、プロ並みでいつも80そこそこで、一緒にラウンドするときはさくちゃんのドライバーを見るのが何よりも楽しみだった。
そんなさくちゃんも、僕の知り合いが社長を務めるJR内野カントリーでバックティーで打って良いと言われラウンドしたところ94と崩した。
そんなラウンド中のさくちゃんを見て、益々人柄を好きになった。
今後、一緒に仕事をすることはないと思うけど、いつかまたラウンドするときは、福岡で一緒に回ったときのように楽しく昔話をしたい。

さくちゃん、色々とありがとうね。

2014年9月7日日曜日

残暑の大濠公園

いよいよ、福岡での生活も残すところ1ヶ月をきりました。

丁度2年前の9月に部屋探しから始まり、あっという間に経過しました。
その間、両親、家族、先輩、親友、後輩、同僚と沢山の人が訪ねてくれたことは忘れがたい思い出です。

振り返ると、出会った方々の紹介を中心に人脈が広がり、少ないながらも数億円の商売を作ることができました。

「営業の原点」に戻ることができたこと、「沢山の仲間の人脈」ができたこと、「福岡、鹿児島など九州を知る」ことができたことが、何よりの宝物となりました。

楽しい仲間と、美味しいお酒と食事をしながら黒田官兵衛でも見ながら残りの時間を過ごし、静かに帰任します。

2014年9月5日金曜日

九州食料課の皆とおこぜ

僕を囲んで国内電力プロジェクト部の上垣さんや、食料課の荒井君の呼び掛けでグループ会社のメンバーまで合流。
「couta」で赤ワインを10数本空けてからの「おこぜ」。

ありがとう。

福岡でのラウンド

同期のさくちゃん、よかネットのメンバー、食料課の宮城君、撮影は夏栗君、本当に楽しいラウンドだった。

味噌汁の味の感じ方

今朝の新聞でカズが書いていました。
これは、「食」だけでなく、「会社組織」などでも言えることで、同じものでも感じ方は微妙に違うものだね。
とても面白い表現だと思いました。

2014年8月27日水曜日

息子の米国旅行

今年の8月は、息子が学校行事でニューヨーク、デンバーと3週間の旅で訪問して来ました。
途中、海外の子供たちとサッカーを楽しんだようで、本人もお気に入りのショット。
帰国後、「漢字が並ぶ日本語に違和感」と言った息子。
やはり、英語も文化も習慣も、受け入れるスピードは早い。
自分の可能性もさることながら、息子の可能性に期待が高まる。

2014年8月26日火曜日

黒田官兵衛の墓

黒田官兵衛こと黒田如水はじめとする黒田家のお墓は、福岡市内の千代県庁口付近の崇福寺にあります。
訪れて驚いたのは、その墓石の大きさです。人の背丈の3倍程ある墓石が複数並んでおり、左隣には黒田長政の墓も。
また、お墓に向かう途中にあったお寺の一言に目がとまりました。
何か訴えかけているように思いました。

2014年7月12日土曜日

我が家の南東に大きな虹ができていたようで、家内と息子が発見し撮影したようです。
そういえば、最近は虹を見ないなと思い、とても縁起の良いものを見れたのではないかと思うほどです。

素晴らしいことが起きるような予感。