2011年12月23日金曜日

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久しぶりにブログを書きました。

今年は、1月の上旬に近所のご主人が数十メートル先のタバコの自動販売機にタバコを買いに家を出て以来帰らぬ人となってしまい歳が近いこともあってか大変なショックを受けた年の始まりでした。

2月に開催した卒業以来の慶應義塾普通部の同窓会が開催され、その帰り道で親友より末期癌で余命が数ヶ月との告白を受け涙がとまりませんでした。その後、親友を集めサポートする会を発足させ周囲の友人から寄付金を募り治療費の捻出を皆で考えました。この活動は大勢の友人、諸先輩、後輩よりご賛同頂き9百万円が集まり大変な勇気を頂きました。お陰様で以降の保険外治療の殆どの費用に充当することができました。

そんな最中、3月11日には未曾有の東日本大震災にみまわれ日本中が悲しみに包まれ元気を失いました。
当日は、末期癌の親友は帰宅難民となっていましたが縁あって幸いにも23時にはピックアップでき我が家に泊まってゆくことができましたが、治療の真っ最中であったにも関わらず本人の希望で芋焼酎を二人で(軽く)黒霧島で乾杯しました。

4月からは新年度に突入しましたが、2年ほど続けてきた事業が採算にのらず第三者に事業譲渡することとなり、譲渡先の選定、交渉、売却と6月末までの短期間で実行することとなりました。

夏は電力不足が深刻化する中、異例の消灯によりいたるとことが真っ暗な中であっという間に過ぎ去りました。

9月は、上司の理解もあって久しぶりに海外出張でBostonを訪問し何度か訪米した本土の中でも文化を感じる街であり大変新鮮な気持ちで帰国しました。

10月に入ると会社では期中にも関わらず大がかりな組織変更により業務内容が一変しこれまでと違った脳みそを使いながらひた走ってきました。
そんな中、母校の運動会が行われた10月19日の早朝6時20分に親友は大変残念ですが癌の痛みから解放され他界しました。
親友は、この運動会に行きたいと最後まで言っていましたが奇しくもその日の朝に亡くなられ本当に悔しい想いでいるのではないかと思います。

11月にはその親友のお別れ会が横浜の関内で開催され受付をさせて頂くなど最後の親友とのお別れをしました。
11月下旬には長年愛用したBMWを手放しレンジローバースポーツに乗り換え気持ちを新たにし年末を迎える準備をしました。

今日、一年を振り返り激動の年であったことを改めて実感するとともに巷では「絆」という漢字が今年の言葉のようですがまさに親友を取り巻く環境のなかで『絆』の大切さを実感する一年でありました。

今日一日、今を大切に、充実した時間を過ごすことが何にも代え難く重要であると親友の赤羽真君は教えてくれました。

今年も残すところあとわずかですが、素晴らしい毎日を過ごしたい、そう思います。

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